生きるための闘牛

評・立松和平 / 「闘牛島・徳之島」

ーアサヒカメラ(朝日新聞社刊)よりー

牛は静かな動物である。食べるものは草や穀物で、闘って相手を倒し、倒したものを食べるわけではない。

牛が闘うとしたら、人間のためである。代理の闘争なのだ。

思えば、闘争はほとんど何かの代理なのである。戦場で命のやり取りをする兵士は、自分自身のためというより、誰かの代理で戦闘をしている。ボクシングやK-1に熱狂する大衆は、代理で闘ってくれる選手に何かを仮託しているのだ。もし代理でくれるものがいなければ、いつの時代でも大衆の中から闘争心があからさまに滲み出してくる。それはつまり共同体の破滅なのだ。

写真集「闘牛島 徳之島」のページをくりながら、そんなことを考えた。

まず福田和也の文章がいい。「徳之島にはじめて足を踏み入れた時に覚えた死の臨在という直感は、最後まで覆されることがなかった。ただ、それは死の匂いというよりは、死人の、死者の匂いといった方がいいのかもしれないが」

南島は生も死もあからさまで、生の鮮烈な輝きが満ちていると同じその光の中に、死の匂いがある。私などが南島にひかれる理由は、そのあたりにある。

奄美大島には相撲があり、徳之島には闘牛がある。人間の代理として闘うのが牛である以上、当然それは苛酷なことになる。奄美大島の相撲を見ていると、当然自らの肉体を鍛えていったあげくの真剣勝負でありながら、親子相撲という和解が根底にあるように思う。父と息子が闘い、いつしか父は子に破れる。その時を慶賀とするのである。

だが徳之島の闘牛は和解ではなく、もっと煮詰められたような闘争の持つ純粋さがあるようだ。

「勝った牛は泰然としてたたずみ、戦勝に酔った家族や仲間たちが飛び込んで来て踊ったり、縁起づけに子供をまたがらせたりする人々は、敗者に対して、我関せずという調子を貫いている」

闘牛は闘争の純粋結晶ということである。その牛の闘いを、ただ闘争の時間だけを切り離して見つめるのではなく、島の共同体全体を白骨となった過去にまでさかのぼってとらえたところに、本書の重みがある。

闘争がなければ、若者たちは島にとどまらない。闘牛こそが、島人のアイデンティティーである。桑嶋維の写真で、闘う牛や血のしたたる傷口も鮮烈であるが、私は海岸で二人の男がそれぞれの牛を引いている光景が好きだ。一人は少年で、鼻に綱をつけた牛をいかにも大切そうに引いている。もう一人は年齢不詳ながら自らはしゃがみ、牛は海の方を見て立っている。なにげない日常の光景なのだが、人間と牛との間に親密な空気が流れ、永遠ということを感じさせる。

もし闘牛がなかったら、徳之島にはこのような風景はない。牛もいないし、若者もいない。それはぞっとする風景なのだが、おおかたの過疎の島の現実である。

また一頭の牛を囲み、少年たちが得意げにポーズをとっている写真がある。同じ黒ずくめの服装をしているからには、チームらしい。この中で牛だけが無表情なのが、どうもおかしい。こうやって島の共同体が成り立っているのだなと、よくわかるのである。

どこか一点でも蕩尽をしなければ、永遠に向かってつづいていく時間の中で、人は窒息してしまうのである。

だから闘牛も島で生きるためのひっしの営みだ。全体でそのことをよくわからせてくれる写真集なので、まことに

今日的な主張がある。闘牛を入り口にしてやってきた写真家は、徳之島全体を抱きしめているのだ。

私は東京から石垣島に向かう飛行機の中で、この原稿を書いている。石垣で乗り換えて与那国島にいく。

2カ月ほど前、援農隊三十周年記念式典のために行った時、与那国の人たちは闘牛で歓迎してくれたのだった。

(たてまつ・わへい 作家)

立松和平 たてまつ わへい

栃木県宇都宮市生まれ。

主な受賞歴

1970年 – 『自転車』で、第 1回早稲田文学新人賞

1980年 – 『遠雷』で、野間文芸新人賞

1985年 – アジア・アフリカ作家会議「若い作家のためのロータス賞」

1993年 – 『卵洗い』で、第 8回坪田譲治文学賞

1997年 – 『毒 – 風聞・田中正造』で、毎日出版文化賞。

2002年 – 歌舞伎『道元の月』の台本で、第31回大谷竹次郎賞。

2007年 – 小説『道元禅師』で、第35回泉鏡花文学賞。

2008年 – 小説『道元禅師』で、第 5回親鸞賞。