絶対色の抽出

評 後藤正治 / 「朱殷」

ーアサヒカメラ(朝日新聞社刊)よりー

かれこれ二十年も前、雑誌の仕事で、奄美・徳之島に滞在したことがある。

町長選挙の最中であった。買収と賭博が横行する、いわゆる奄美選挙をレポートすることが目的だった。

国政から町議会選挙まで、この地においてはかならず賭博選挙が横行する。公職選挙法からいえば明確な

違法行為ではあるのだが、地元民はあっけらかんとこう語ったものだった。「島民全員を警察署に留置する

わけにはいかんでしょう」と。奄美選挙とはいわば男たちのお祭りといった色彩も帯びてあった。

空は広く、珊瑚礁の海は青く、サトウキビ畠が黄色く染まっている。闘牛場を除けば、のどかな南の島だった。

闘牛場を見たのもこのときである。狭い円形の砂地のグラウンドを、もうしわけ程度、スタンドが囲んでいる。

人気のないがらんとした空間に強い日差しが照りつけていた。

闘牛については、当時も、いまもなにも知らない。ただ、しんとした無人の闘牛場を見やっていると、

たたかう牛の鮮血が地面に染み入り、血走った目の男たちの熱い熱狂のひとときが浮かぶように思えた。

 寡黙な写真集である。

写真説明は一切ない。著者略歴に「東京都吉原生まれ」とある。公の地名にはない地であるが、世評、高名なかの地のことであろうか。不敵な面魂の小さな顔写真が添付してあって、著者の感性がぼんやりと伝わってくる。

言葉においては寡黙であるが、本書の主題はシンプルかつ直裁的である。タイトルの「朱殷」とは馴染みのない言葉であるが、大漢和辞典をひもとくと、「赤黒く鮮やかな色」とある。巻末の短い跋に「絶対色」という言葉が使われている。鮮烈な原色、赤。本源的な、ある確かなるものー。それを求めて各地を歩いた軌跡が本書である。

闘牛、闘犬、闘鶏、ボクサー、錦鯉、あるいは匂い立つような原色の花々…..。さまざまな “絶対色” に彩られた素材を抽出し、プリントアウトし、鋲で貼りつけんとした。

こう記されている。

<肌や髪、瞳に様々な色を持つ人々で世界は鮮やかに着色されているように見えるが、その下地となっているのは、僕らの内を流れる血の色だけなのだ。その色こそが、生きとし生けるもの全てに分け隔てることなく、

神が与えし唯一の色 ー 絶対色 ー というべきものである>

どのみち生きとし生けるものは化粧をほどこして世を渡る。世渡りを重ねるにつれ、だれもが厚化粧を通した交わりに慣れ親しんでいく。そんな日常に馴れ、流される日常ではあるが、ふと皮膚下に脈々と流れている鮮烈な赤いもの、素の地色を見たいと思う一瞬はある。ページをめくっていると、自身のなかにもまだそんな衝動が宿っていることをふと知覚させてくれる。

 巻末の取材先メモを見ると、撮影場所として、闘牛は鹿児島・徳之島、闘犬は高知・桂浜、闘鶏は高知・安芸と記されている。陽光照りつける南国に「絶対色」の世界が根づいてきた。地の側に、たたかいを生み、男たちを熱狂させるものが棲みついているのであろうか。たたかいの場に駆り出される動物たちの一瞬の姿は、猛々しく、物悲しく、また神々しい。

南の島の選挙戦。取材に疲れると海岸線に出て、白いしぶきを上げて打ち寄せる海を見ていた。飽きなかった。ここに空あり海あり黒糖焼酎あり。同じように闘牛あり賭博選挙あり。すべてはこの島の自然な習俗であり、久遠の時間帯のなかに溶け込んでいく。オレはなにを取材してるんだろう…..。そんな思いが湧いてきたものだった。「絶対色」を抽出した写真集をめくっていると、古層に沈む遠い記憶がよみがえってきた。

(ごとう・まさはる ノンフィクション作家)

後藤正治 ごとうまさはる

京都市出身。大阪府立四條畷高等学校を経て、1972年京都大学農学部卒業後、執筆活動に専念。

スポーツや医療問題をテーマとした著作が多い。2007年4月から、神戸夙川学院大学

観光文化学部教授、副学長をへて2010年学長。2012年3月末をもって、同学長を退職。

1985年『空白の軌跡―心臓移植に賭けた男たちー』で潮ノンフィクション賞

1990年、『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞

1995年、『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞

2011年、『清冽 詩人茨木のり子の肖像』で桑原武夫学芸賞