林文浩

「DUNE」編集長

「僕は、写真とは現代の浮世絵だと思うんですよ」と桑嶋維は語る。元々ミュージック・ビデオが好きで、そのディレクターになるべくロンドンに向かったが、彼が最終的に選んだのは、写真であった。九〇年代中頃、ロンドンが久しぶりに才能溢れる若者を世界中に発信した時期であり、慢性化していた英国病を克服し、経済的に繁栄をもたらした時期でもあった。そのロンドンで彼は一体何を学んだのであろうか。

九〇年代のファッション写真は、パリで出版されているインディペンデント雑誌『パープル・ブロウズ』の影響を大きく受けている部分があった。アートとファッションの融合。それまで、少なくともプロのモデルもしくは、それに近いルックスを使って撮影されていたファッション写真の世界で、その辺にいる普通の人々をモデルに起用して、素人とプロの境界線を非常にあいまいなものにした。そして、写真自体も、何らつくり込むことなく、日常の中のロケーションを、まるでスナップ・ショットを撮るような気軽さで撮影している。このスタイルは、世界中の若手フォトグラファー、特に日本の若手フォトグラファーに大きく支持されて、またたく間に雑誌業界を席巻していった。しかし、このスタイルは、本当に優れたセンスを持ったフォトグラファーだけに与えられた特権的なものであって、並のフォトグラファーがやると、ただの手抜きの写真に見えてしまう。たしかに、経費も安くすむし、時間もかからないという雑誌向きのスタイルではあるが、日本のようにまだまだ編集者の写真に対する考え方が甘い状況下では、その手軽さだけが重要視されて、退屈な駄作を大量生産することになってしまった。その果てには、スタイリスト等の素人さえもファッション写真を撮影する結果になってしまった。要するに、パープル的なファッション写真に対する考え方は、日本ではその本質からはずれてしまい、単に手軽さのみが独り歩きする結果となってしまったのである。ただ写真というものを多くの人に広めたという効果は否めないが。

当然のことながら、こういった状況は永くは続かない。末期的な状況に陥ってしまった今、新しい流れが生まれるのは当然といっていいだろう。

桑嶋維の撮る写真は、彼がロンドンに居たこともあるが、このパープル的なファッション写真観とは全く反対に位置しているといっていい。彼の写真は、しっかりとした技術に裏付けされ、その中に時代性と正統的な美学が凝縮されている。ややもすれば古典的といってもいい世界観を絶妙の時代感覚で古臭く感じさせないセンスは、今の状況のような写真業界ではかえって新鮮である。「僕は、浮世絵師の中でも写楽が好きなんです。彼は忽然と現れて、あっという間に消えてしまったけど、多くの傑作を残した。そして、素性もはっきりしていない。僕もそれでいいと思っています。名前はどうでもいいんです。写真が残れば。」

桑嶋維のもうひとつの特徴は、彼が今、山梨県に在住というところである。学生時代は、東京で過ごし、そのあとがロンドンという、世界的な大都市で二十代の時を送り、最終的に到着した場所が山梨という自然に恵まれた場所であったということである。そのことは写真が都市の中からインスピレーションを受ける時代から、自然の中からもインスピレーションを受ける、要するに近代的なテクノロジーと自然とを融合させることによって新しい価値観を表現していこうという世代の主張なのかもしれない。そういった意味で、桑嶋維の表現する世界観に、新しい時代の可能性を感じずにはいられない。

 

林文浩 はやし ふみひろ

林文浩氏は学生時代から編集業に携わっており、「DUNE」の編集長に就任。著書には「外道伝」をはじめアートブックなどが存在し、東京・白金にあるアートスペース「THE LAST GALLERY」を主宰。過去には、Sofia Coppla(ソフィア・コッポラ)監督の映画「ロスト・イン・トランスレーション」に出演したことがあるなど、多彩な活動を行っている。

1993年に林文浩氏により映像・音声の書籍や雑誌を展開する出版社アートデイズ

から創刊された「DUNE」。宮沢りえが表紙を飾った創刊号から菊池凛子が登場した

2008年の第33号まで約15年間、徹底したクオリティーと妥協のない姿勢で制作されてきた。

「DUNE」にしかできない”カタログ的ではない雑誌”、”本質を伝える雑誌”を追求しており、

ニューヨークタイム誌の”世界のインディペンデント・マガジン”にも選出されている。